怒りが教えてくれること
怒りは、自然に表現しないと様々な不具合を生じさせると思います。
たとえば、くり返し話しているように不全感だったりいつもイライラしたりして、なぜ自分は気持ちの悪い感覚になっているのかわからないということが、余計にいら立たせて、そんな自分は病気なんじゃないかと自分に対する不信感や不安感も慢性的に持ち続けるなんてことになりかねません。
また、いつも怒りを表現している人の場合、周りも困惑しますし本人が苦しいのだと思います。もしかしたら身体的に問題があり体力的につらいのかもしれなしし、何かに納得していないから、怒りの沸点が低くなっているのかもしれません。
精神的には、怒りを抑え込んでいると「うつ」になる可能性があります。うつは厄介な病気ですが、誰でも罹る病ですし、放置しておくと様々な弊害を起こします。
なぜ、自分は怒っているのだろうか?と考えを深める時間はあるでしょうか
そんな触れたくない怒りはフタをしておく方が楽だし、わざわざ波風立てる必要はないと選択するのもアリだとは思います。
ただ、怒りも大切な感情のひとつなので、怒りは悪者ではなく、適切な表現により自分を守り、自分にとって大切なことは何かということを教えてくれる感情なのだとボクは思います。
あと、他の誰かが怒られている現場を目撃したときの自分の反応にも注目してみると、自分が怒りをどのように捉えているのか理解を助けます。
誰が誰に怒るかによっても印象が違いますが(部下が上司に、母が父になど、弱い立場の者が怒る場面)、人が怒っているのを自分が見た時に、自分はどんな反応をするのか注目してみるのも怒りの理解につながります。
たとえば、同調して自分も怒りが沸いてくるとか、まるで自分が怒られているように感じるとか、怖くなるとか逃げたくなるや何も感じないなど、その反応も様々かと思います。
ACの多くは親から体罰を受けたり、理不尽な説教をうけたことでトラウマを抱えています。
そのトラウマと怒りは密接な関係にありますから、トラウマを回避するために怒りにフタをするといったケースもあります。トラウマについては別の機会に説明しますので、まずは自分がどんな怒りを抱えているのか確認しましょう。
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