自分の怒りは何を訴えているのか
自分のなかにある怒りは、何を訴えているのでしょうか?その声は、いつから始まっていて、何をわかってもらいたいのでしょう。
ACカウンセリングで伺うお話は、。。胸が痛いです。カウンセラーという役割で聞かないと平気ではいられません。何がつらいかというと、その人のなかにある怒りが出さない限り消えず、延々とくり返しその人自身を傷つけているからです。
生きづらさが手に負えなくなりボクの前に現れてくださる人々の怒りは、筆舌に尽くしがたい痛みを伴った感情です。怒りは適切に処理しませんと、憎しみに変質し腐り、恨みにになります。恨みになった怒りは、その人自身を侵してしまい、本来の目的である「わかってほしい」という訴えから、「殺してやりたい」という殺意になってしまうと思います。
人が殺意を抱くだなんて、普通じゃないですよね。ましてや親を殺してやりたいと強く念じるってことがあるなら、相当に心に負担がかかっていると考えられます。視界は極端に狭くなり、殺すことしか考えられず、その人の本当の生きる目的からは逸脱していると言えます。自分のなかに重くのしかかり消えずにある怒りが生まれる原因がなければ、親と仲良くしていられるのであり、その真逆の殺意を抱くという心の状態になってしまうということは、それ相応の理由があるのであって、その声を『自分自身が聴く』必要があります。この過程は簡単ではないのかもしれません。でも、そうしないと報われないし、過程に多少の違いはあっても、それができた人々をボクは知っています。
進み方は本当に人それぞれなので、ひとつの決まった過程があるわけではないですが、概ね言えるのは、その人自身がその人を許すということに尽きます。
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