自分物語の参考例
自分の怒り(わかったら後々、自分をどんなときも助ける宝となる)を表出させたくても、そのやり方がわからない、という方のために、自分物語をつくるといいと話しました。そこで、自分物語の参考例を書いてみることにします。
一番は、自分物語を話すことです。ただ、話し相手は誰でもよいというわけではなく、心理についての知識があり、傾聴することの目的を理解し、トレーニングを充分に積んだ専門家が望ましいです。脳の機能としては、話すことで記憶が書き換えられることが確認されているので、トラウマ(PTSDを含む)とされる体験は、秘密にしないで話す方がよいとボクは考えます。
話す上でもコツがあり、起こった出来事を詳しく語るよりも、その出来事に対して、自分がどう感じたかを語ることに重点を置きます。自分の生きづらさとは端的に言うと、「自分とうまく付き合えない」ということですから、まずは自分を知り、自分の理解を深めていくことが、生きづらさを解消するために必要です。
その理解を最初に”阻む”のが怒りです。怒りが自分に立ちはだかり、なかなか自己理解に進ませてくれません(それには理由があります)。
あなたの周りにいつも機嫌が悪いとか、いつも不安がるとか、いつも悪口や不満を言っている人はいませんか?
そんな彼らは、怒っているのです。誰に?自分にです。
恐らく彼らはあまりにも理想が高すぎて、現実の、等身大の『自分』を受け入れられないのです。
だから自分に怒っているのですが、周りはなぜ彼らが不機嫌なのかわかりませんしわかりたくもないと思われます。だから、不機嫌な人はだんだんと孤立して、ひとりぼっちになるのですが、その理由を明確にしないので不幸から抜け出せないというか、自分が不幸であるという認識もないのかもしれません(幸・不幸の定義も個人差がありますし、これはボクの考えなので絶対ではないです)。
『自分との付き合い方』については後述しますが、感情に、怒りに焦点を当てるとき、許せないという感覚を使うと良いでしょう。
ちょっと例を書いてみますね。
ボクが11歳の時に弟がうまれました。ボクにとっては、たとえ父親が違っても、初めてきょうだいが生まれたことが嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。だから、当時ネットはなかったけれど、自分なりに調べて、赤ちゃんとのお付き合いの仕方を学びました。もう今から38年も前のことですから、便利なものはほとんどありません(紙おむつはあったかな?)。というか、奈良県吉野郡に住んでいたため、手に入りづらかったと言った方が正確ですね。怒りは弟に対して向けたことは一度もありませんが、毎日ボクをいじめる姑に対してはありました。姑は当時ある宗教に入信していて、その相棒みたいな人とボクを陰湿にいじめました。それは、ボクにボクの母の悪口を言ったり、何キロも先にあるスーパーへ買い物に行かせたり、毎日最低1時間は犬の散歩に行かせたり、食事はボクの分は作らなかったり、お風呂は必ずボクが最後で風呂掃除をさせたり等々、まるでいじめを楽しんでいる様子でした。その都度ボクは反発できずに誰にも言えずに我慢していました。ただ、一度だけ「オマエナンカ シネバエエンヤ」と小声で言ったのが聞こえてしまい(地獄耳)、そのとき病に伏せていた姑の逆鱗に触れてしまい、母もこっぴどく叱られたので申し訳のない気持ちになり、罪悪感も抱きました。でも、殺意が生まれたのも事実です。いつかバアばあ殺したると小6のときに包丁を何度も研いだ記憶があります。。。
。。。とまあ、こんな具合に、されたことや出来事を仔細に書くというより、感情をできるだけ明確に書いた方が癒しが進みます。不思議なのは、負の感情100%かというとそうでもなく、弟が生まれて嬉しいとか、そういった明るい感情も同時に思い出すこともあるので心の反応ってわからないですね。
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