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ドーパミン中毒

ドーパミン中毒


 

とても良かったです。ストーリー性があり、脳科学を通じて依存症が人に与える影響や、具体的な回復策が書かれていて読み応えがありました。

 

 

・本文より

「ギャンブルをすると、最終的な報酬(通常お金)に対してだけではなく、報酬がもらえるかどうかがわからないという予測不可能性に対しても多量のドーパミンが放出されることが科学的に示されている。ギャンブルをする動機は金銭的な利益というよりも、むしろ報酬の予測できなさにあるということである」p86

 

 

 

「衝動のままに恋愛小説を読んでいた時、私は部分的にしか自分が何をしているか気がついていなかった。つまり、私は自分の行動に気づいていながら気づいていなかったのだ。これは依存症ではよく知られた現象で、白昼夢に似た半意識状態の一種で「否認」と呼ばれることもある」p240

 

 

 

『私はこの「恥」と「罪悪感」の分離に疑問を感じている。なぜなら「恥」と「罪悪感」は経験的には同じものだからだ。理性では、自分を嫌わずに「悪いことをした善人である」と思うことはできるかもしれないが、恥や罪悪感を感じた瞬間、お腹にグッと強い感情のパンチが入るわけで、その感情は同じではないか。すなわち罰せられる恐怖や見捨てられる恐怖が混ざりあった後悔だ。その後悔は他者に見つかってしまったことに対するもので、やってしまったこと自体に対する後悔は含まれていることもあるし、いないこともある。見捨てられる恐怖はそれ自体が罰の一形態で特に強力である。追い出される、避けられる、もう集団の一員ではいられないというのは、人にとって非常に怖いことである。

 

 

しかしこの「恥」と「罪悪感」の分離からわかる現実もある。私は、この差は私たちがその感情をどう経験するかではなく、他人が私たちの逸脱行為にどう反応するかだと信じている。他人に拒否され、非難され、忌避されればその人は【破壊的恥】と呼ばれるサイクルに入ってしまう。破壊的恥は、恥ずかしいという感情をさらに悪く強い形で感じさせ、そもそも恥を感じることになった行動から抜け出せないように仕向けていく。一方、他人に抱き寄せられ贖罪や回復のための明確な指針を与えられれば、[向社会的恥]のサイクルに入っていく。向社会的恥は恥ずかしいという感情を和らげ、恥ずかしいと感じる行動をやめたり減らしたりするように仕向けていく』p278

 

 

 

ボクがカウンセリングで伺う相談内容にも依存症は定番というか、主訴とセットになっていたりします。何かに依存しなければ、生きていくのがつらいとか、さみしいからっていう理由がその人にはあると感じます。

 

 

不思議なもので、完全に社会から孤立していると思われる人から、家族に囲まれている人まで等しく?依存症になるという現実はあります。ボクが思うのは、何かに依存するとき、せざるを得ないときって自分が自分の気持ちを受け止めきれないときなのかなって。

 

 

この本が、ひとりさみしい夜を過ごすときのささやかながら明かりになることを願って。

 

 

 

ドーパミン中毒 アンナ・レンブケ 著 恩蔵絢子 訳/2022年刊/新潮新書/319ページ/1,100+