『では、精神分析側の問題とは何か。それは、私たちが「閉じて」きたことです。
精神分析はときに「宗教や呪術との区別がつかない」などと言われているのが現状です。そうした批判を、私たちはほとんど放置してきました。』309ページに記載
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現役の臨床心理士・公認心理師で博士(心理学)の著者による、精神分析のこれまでとこれからについて、現場からの視点ー社会からの視点を交えながら論じているように読みました。
導入は日本の精神分析の歴史や、臨床心理士と公認心理師が誕生する変遷、良さというよりも批判する立場で、精神分析の居場所を再び社会のなかに取り戻そうとする問題提起なのかなと思いました。
率直な感想としては「よく書いたな」と思いました。精神分析を愛すればこその言論なのかもしれませんが、全くスキがないくらい痛烈に批判しながらも、精神分析という概念を「信じている」からこそ書けたのかもしれないと感じます。
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『「信じる」ことについて精神分析でもっとも詳細に論じている論者の一人が、クライン派のロナルド・ブリトンでしょう。彼は「信じることの心的現実に対する関係は、知覚の物質的現実に対する関係に匹敵する」と述べます。
毎日の通勤経路のなかで、ある日突然「ここにこんな店があったのか」と思うといったことは、誰しも経験したことがあるでしょう。それまでその店はそこに物資的には存在していたのですが、私たちにとっては存在していなかったわけです。このように、物資的に存在していることと、私たちにとって存在していることは別です。』
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『私たちは意識的、無意識的にいろいろなことを想像しますが、「信じる」という行為が挟まることではじめて、その空想が私たちにとって存在する。たとえば、誰でも一度は「自分はこの世で誰からも望まれていないのかもしれない」と想像したことがあるでしょう。それをいっときの気の迷いだと思う人もいれば、「自分は誰からも望まれていない」と確信する人もいます。この差を生み出すのが、ある想像を「信じる」か否かなのです。
この「信じる」という行為は、意識していないうち、つまり無意識に「信じている」うちは、たしかに受動的です。しかし、意識できるようになれば、それは能動的な行為になりえます』298〜299ページに記載
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精神分析は無意識と呼ばれる心の領域を扱うため、「信じる」というワードが鍵になります。現場で何が行われているのか治療者として赤裸々に語ることには勇気が必要だったのではないかと驚きました。
本書はぜひ最後の「あとがき」まで読まれることをオススメします。なぜ著者が精神分析の問題点を「閉じてきた」ことだと言っているのか、また精神分析を通じて日本の心理療法が現状どうなっているのか知れます。
SNSで炎上することが常態化している日本の「社会」に果たして精神分析という価値観は居場所をつくれるのか考えていくことも、少なからず心理に携わる者として自分事だと考えさせられました。
「精神分析の歩き方」山崎孝明著/2021年刊/金剛出版/329ページ/3,400円+税
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