子どものころのボク


こちらのページでは、ボク自身が アダルトチルドレンだと気づいた当時から、現在(2018年5月5日)に至るまでの気持ちの変化を中心に書いてみたいと思います。

 

ボクがアダルトチルドレンであると自覚したのは27歳の頃でした。「自分のことが書いてある!」と、アダルトチルドレンについて書かれた本を読み興奮したことを覚えています。

 

 

なぜ、自分がアダルトチルドレンという理論に反応して興奮したのか、当時のボクはそのわけを考えることはありませんでした。それ以上に役者になることを目指して無我夢中だったので、過去を振り返って自分と向き合うことはありませんでした。

 

 

でも時は流れ人生に行き詰まり、自分と向き合わなかったツケが回ってきて自殺することで頭がいっぱいになったときに、アダルトチルドレンの本に書かれていた、抱えきれない「怒り」は、自分を見失わせるということを思い出しました。

 

 

怒りを解放できなかったボクが、どんな風に怒りを解放し、傷ついた気持ちを癒して、前向きな気持ちで生きていけるようになったのかを探るために、子ども時代から振り返ってみたいと思います。

 

 

 

 

 

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ボクは福岡県北九州市に生まれました。その後ボクが6歳の頃に両親は離婚し、母に連れられて奈良県吉野郡に引っ越しました(添付写真)。この時、母に嘘を付かれて奈良に行ったのです。

 

 

「ちょっと夏休みを利用して奈良のお姉さんのとこに遊びに行こう」

 

 

こんな風に言われたことを覚えています。しかし夏休みが終わってみると吉野の保育園に転園させられていて「ママ決めたから。アンタはこっちの保育園に行くんだよ」と真顔で言い放った母の顔が蘇ります。

 

 

「なんで・・・・?お友だちの◯◯ちゃんにはもう会えないの?◯◯先生に遊んでもらえないの?パパは・・・・?」

 

 

北九州市の保育園では残り半年くらいで卒園でしたからショックも大きかったです。突然起こった出来事に混乱して、地元の環境から離れるのがとても悲しく母に対する怒りを覚えています。

 

 

 

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奈良県吉野郡に住み始めたころの母は30歳で、母の姉(8人きょうだいの下位3姉妹)のスナックで働き始めました。お酒がまったく飲めない母が、どのような思いで働いていたのか・・・・わかりません。朝方、酒気を帯び正体があまりない状態で毎日のように帰宅し、倒れ込みながら寝ていたような記憶があります。

 

 

当時6歳だったボクは、突然の環境の変化に慣れなければならず、焦りや苛立ち、そして強い不安感を抱いていたように思います。母が水商売の世界に入ってからの生活は、月曜日から土曜日までの6日間のサイクルで、夕方から朝方まで母は不在のために、当時住み始めた古い安アパートに子どもだったボクはひとり取り残され、自炊や掃除といった家事や入浴、保育園で必要な物事について先生に聞き、何でも自分でまかなわなければならなくなりました。

 

  

 

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当時の私が感じていた気持ちを書いてみます。

 

 

 

怒っていた

 

 

ボクが大切にしていたすべてを奪われた

 

 

悔しかった

 

 

大人の責任を背負わされた

 

 

恥ずかしかった

 

 

 

だから

 

小さな大人を演じなきゃいけなかった

 

 

 

怖かった

 

 

でも

 

誰も助けてくれなかった

 

 

 

「なんで?なんでボクだけこんな目にあう?なんで、ボクいつもひとりなの?」

 

 

 

こんな風にいつも持って行き場のないい怒りをもっていました。

 

 

失ってしまったことが大きすぎたと感じていました。

 

 

「さみしい」「悲しい」「怖い」「助けて」と誰にも言えずに我慢し続けていました。

 

 

 ポッかり穴が胸にあいてしまった気がしました。

 

 

 

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ボクは小学生になり、ストレスから過食が進み小学6年生の時には身長は165cmで体重は68kgになっていました。肥満や「ひとりぼっち」であるという思いから、精神的に引きこもり集団行動ができず友だちのいない暗い子どもになりました。

 

 

 

こんな風に子どもの頃、感情を自由に表現できなかったり、親の不在により孤独感をもつことが当たり前になったりしたことで親を憎むようになり、いつしかボクは人のことが信じられない人間へと成長していきました。

 

 

 

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そんなボクは、すっかり母親のことを憎み自分に関心をもってもらえない怒りから、16歳で母の元を離れました。アルバイトをしながら一人暮らしをして高校へ通い大学も無事卒業して就職しました。

 

 

 

でも、こころのどこかでは「これでいいのかな?このまま人生進んで行っていいのかな…」と思いながら…

 

 

 

すると、親との学びを充分にすることなく自分と向き合わなかったツケが返ってきてしまいました。

 

 

それは、無意識のうちに自分の気持ちを抑えこむことを常にしていたボクは、社会人になってもどこか慢性的な「無価値感」を抱えることになり、たとえば恋愛をしても“フラれる前にフル”という交際相手の方の気持ちを考えられないお付き合いを繰り返していました。これは見捨てられ不安によるもので、自分に自信がないことから傷つくことに対して敏感となり、精神的に未熟だけれども体だけが大人になった、「幼い自分」を抱えたまま20代を過ごしてしまいました。どうせ自分なんてと無価値にしか思えなかったから、自分自身が自分を認められなかったのです。ネガティブな自分は許されない存在なんだという思いだけが大きくなって毎日モヤモヤしていました。

 

 

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そんな自分を変えたくて、27歳で(!)役者になろうと決断し上京しました(小西直人という芸名で゛五条霊戦記GOJOE゛という作品に出演しております笑)。それが冒頭にお話しましたアダルトチルドレンの本と出会う流れにつながる訳です。

 

ところが子どもの頃の解消されていない様々な感情を抱えたままボクは、東京に住み芝居を続けてみたものの、「無価値感」が消えなかったり「自分を認める」ということができなかったりして、「何かがおかしい」と思い続けたまま5年間過ごしましたが、結局子どもの頃に我慢していた気持ちを解消しないまま行動してもうまくいきませんでした(この頃にアダルトチルドレンの癒しをしていれば・・・・と少し後悔する気持ちもあります笑)。

 

 

そんなボクに転機が訪れます。上京して5年目に結婚することになり札幌に引っ越しすることになりました。また人生再スタートと自分なりにがんばったのですが、仕事もプライベートもなかなかうまくいきませんでした。それは、自分と向き合わず、こころの傷を認めないで、「子どもの頃に感じていた膨大な量の怒りを抑えこんだまま」だったからです。

 

 

 

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要約すると「自分と向き合わないで、人や物事の‘’せい‘’にしていた。自分のことだけをわかってもらいたい気持ちが強かった」ということになります(こころの傷が癒えていないことで繰り返し引き起こされる“負のパターン”相手に押しつけてしまう)。

 

 

 

このように迷走していたボクが30歳の時に母がガンであることが判明し、5年後に母は他界しました(2008年10月30日18時50分永眠)。

 

 

 

母がこの世を去ったことでボクは“うつ”になりました。その理由は、子どもの頃から被害者意識が強かったボクは一度も母に謝ったことがなく、母の苦労をわかってはいても憎しみ続けた結果、母への激怒は行き場をなくし、自分のなかで処理ができず、自責感や罪悪感に変質して、後悔に吞み込まれ何もできなくなり生きる気力をなくしました。

 

 

 

 

 

何度も自殺しようと試みました。

 

 

 

でも勇気の無いボクはできませんでした…

 

 

 

 

抑うつ状態が約3年ほど続きつらく苦しい気持ちを何とかしなければともがき続けていた時に、アダルトチルドレンのことを思い出しました。

 

 

「これをやってもダメなら死のう」

 

 

こんな風にやっと決断して、37歳の時にアダルトチルドレンのワークに取り組み始めました(アダルトチルドレン専用カウンセリングで使用しているワークです)。

 

 

 

 

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長い文章をお読みになっていただき、誠にありがとうございます。大変お疲れさまでした。

 

大まかにボクがアダルトチルドレンであると自覚して、癒しのワークに至るまでをお話させていただきました。

 

 

今のボクが生きていられるのは、アダルトチルドレンという考え方に出会えたことがとても大きいと感じています。

 

本当に…自分で自分をこじらせてしまい人間関係で苦労しました(笑)なんていうか、自分からめんど臭い方へ進んでしまっていたというか…ただ、アダルトチルドレンの癒しを完了させた今だからこそ言えることがあります。

 

それは、これまでの人生経験は無駄なことは一つもなかったということです。傷ついた気持ちには意味があったということです。

 

 

自分のことしか考えていなかったボクが、アダルトチルドレンの癒しを知れたことで、超絶根暗なボクは少しずつ前向きにな気持ちになれました。自殺しないでよかったです(汗)選択肢は一つじゃないんだなって知れました。

 

 

 

 

人にはそれぞれ抱えているつらく苦しい思いがあるかもしれません。

 

その思いを本当の意味では他者と共有することはできないのかもしれません。

 

 

でもボクは、カウンセリングという時間を通じて相談者さんの

 

『わかってもらいたい気持ち』を少しでも受け止められるようになりたいと思っています。

 

 

 

 

2018年5月5日

 

村上 なおと

 

2019年11月16日修正・加筆

2020年 9月11日 修正・加筆

2021年 1月26日 修正・加筆

2021年 9月24日 修正・加筆

2024年 5月6日   修正・加筆