「自分らしい表現法」とはどのような方法がありそうでしょうか?
たとえば、どんな状況やどんな相手に対しても、自分の考えや気持ちを表現することができて、前向きで生産性があり、人の役に立つような行動ができたらどうでしょう。
きっとそんな表現を自分ができたら、我慢することなく、いつも笑顔でいられて、こころには余裕があり、不安を感じることも少なくてすみそうですよね。
このたとえと現在のあなたの表現を比較してみた場合、だいたい一致しているのであれば、このページに書かれていることはあまり参考にならないのかもしれません。
しかし、たとえと悪い意味でギャップがある人は、少し生きづらさを解消するための、一つの参考にしていただけるかも知れないと淡い期待をもって書いてみます(笑)
自分の表現方法に手応えを感じられず、今ひとつ自信がもてないと、ある場面では縮こまってしまったり、逆に強がり過ぎたりすることがあるように思います。
「ほどほど」とか「ちょうど良い」とか「まあまあ」といった、白と黒の中間というか、やり過ぎとやらなさ過ぎの中間くらいの感覚がもてないと、なかなか気持ちのよいコミュニケーションを相手と、それに自分とも取りづらいと考えられます。
自信がもてないことによって、我慢する回数が多かったり、自分の気持ちを素直に表現できなかったり、「自分は○○と考える」と主張したりすることができないことで、目標を達成するための行動に一貫性をもたせることが難しいのだと思います。
目標とは、できる限り自分が快適に過ごせるように周りの人々と円滑にコミュニケーションをすることであり、人と人とのつながりを大切にしていくことによって、一度しかない自分の人生で叶えたい夢を現実化することを意味します。
現実化するためには、日々の些細なことにもこころを留めて、もし自分にとって都合が悪い出来事が起こったとしても逃げないで、そのことと向き合って、できるだけ解決できるように行動を続けていく必要があります。
向き合うためには、『相手と自分は違う考え方や感じ方をするのは自然なことであり、いかに両者の違いを認めて歩み寄れるか』ということが大事になってきます。
ところが、確信をもって「自分」という存在を表現することができない人は、いつの間にか精神的にも身体的にも引きこもりがちになると思います。
このように自分を表現することができないパターンが習慣化してしまうと、どんどんと自分の気持ちがこじれてしまい、そのまま年齢を重ねていくと、「どうせ誰も自分のことなんてわかってはくれないんだ」と意固地で頑固な考え方となってしまい、相手とも自分とも気持ちの良いコミュニケーションができなくなっていくのではないかと想定しています。
私たちは普段からたくさんの「刺激」を受けて生きています。その様子は「自分」対「自分以外」であり、いかに自分以外の物事や人から気持ちの良い刺激を受けるかということがポイントであります。
自分以外から受ける刺激としては、朝目覚めたら太陽の光を受けたり、ペットなどの好きな対象からであったり、日々いただく食事からであったり、本やスマートフォンといった情報であったり、相手からのことばや身振り手振りといったものがあると思います。
それらの刺激を受けて私たちは「反応」するわけですが、自分の気持ちがこじれてしまっていては、気持ちの良い処理は難しいように思います。
こじれていない人の反応としては、現実を現実のまま受け止めることであり、自分にとって不都合なことであっても、最終的には腑に落とすことができて、処理スピードが早いことを言います。
これに対して、自分ともうまく気持ちの良いコミュニケーションがとれない人の場合は、不都合なことは見て見ぬ振りをしたり、乗り越えられない高い壁として捉えて呆然としたり、不都合さに呑み込まれてしまい引きこもってしまいがちかと思われます。
では、相手と自分とも気持ちの良いコミュニケーションをするためには、どうしたら良いのでしょうか?
まず第一には、自分らしい表現で自分の考えや気持ちを相手に伝えることです。
そして第二に、決して自分の考えや気持ちを相手が100% 受け止めてくれて、理解してくれることは少ないという「現実」を自分自身が知ることです。
①自分らしい表現
冒頭でたとえた理想的な自分らしい表現と、現在のあなたの表現を比べてみて、ギャップを感じられた人は、たとえとのどの部分に差を感じられたのでしょう。
考え方や感じ方は、子どものころから現在に至るまで培ってきたものですから、一朝一夕で変わるものではありませんね。
ただ、すぐには変わらないとしても、今後も変われないということではありません。自分が自分のことを理解していく(自己理解)ことで、少しずつ気持ちのよいコミュニケーションを自分とも相手ともすることができるのです。
(自分らしさの例)
○素直な表現
自分は○○と考えている
↓
自分は○○と考えている
→ ○○とそのまま相手に伝えることができる。
△素直ではない表現
自分は○○と考えている
↓
自分は□□と考えている
→ 相手に合わせて表現を変えてしまう。
×自分を表現しない
自分は○○と考えている
↓
自分の考えを言わない。
自分の考えをできるだけ相手に伝えようとすることが大切です(気持ちを伝えることも同様に大切)。どんな状況や相手へも自分の考えを伝えられることで、自分への評価が変わってきますし、相手が自分へ事実ではない思い込みをしてしまうのを防ぎます。
自分の価値は自分が決めるのであり、相手に自分の価値を求めてしまうと、主体性は失われ自分の人生を生きることが難しくなります。価値を高めるには、自分らしく自分を表現する必要があります。
このため自分が自分を理解することが第一のポイントで、自分にはどんな考え方のクセがあるのかや、どんな受け止め方のクセがあるのかを深く理解することで、冒頭のたとえとのギャップは縮まり、自分の表現法を望むように変えていけるのです。それはつまり前向きな行動に修整していけることを意味します。
②現実を知る
「現実」とは、①で説明したように『相手にも相手の考えや気持ちが自分と同じようにある』ということです。
このため、自分の考えや気持ちを伝えたときに、相手が共感や同意をしてくれなかったとしても、それは自然なことであり、伝えてからが真のコミュニケーションは始まると知ることが大切なのです。
イラストにあるように、まず自分の考えや気持ちを「自分らしく」相手に伝えようと努力します。その努力さに相手は反応して、相手もできるだけ自分の考えや気持ちをあなたに伝えようと努力します。
その努力とは、相手の表情であったり身振り手振りであったりをよく見て、できる限り聴こうとすることです。
「きく」には3通りあります。
1.聞く…音声としてただきく
2.聴く…相手が何を言わんとしているのか、特に相手の気持ちに寄り添いながら、あたかも相手の体験を感じているかのようにきく
3.訊く…自分の知りたいことだけをきく
相手を知ろうとする努力(他者理解)がまた相手にも伝わって、相手もあなたのことを知ろうと努力するようになり、コミュニケーションが循環して、お互いに気持ちの良い時間となるのです。
このような良い循環の上にお互いが自分らしく自分を表現できるのです。これによりお互いの理解が深まり信頼関係は築かれていきます(相互理解)。
人は普段から自分にとって都合の良いことを選択しながら、不都合なことはあまり選択しないように生きています。
そうすることは自然なことであり、良い・悪い、正しい・間違えているという基準で考えるものではありません。
もし基準があるとするなら、自分の内面に独自の「枠組み」をもっていて、その枠組みから「自分以外」の物事や人という、この世界を見て自分の価値観に合う・合わないを判断しながら仕事や生活をしているのです。
枠組みを形でたとえるなら様々な形があることでしょう。丸、三角、四角、だ円、ひし形、星形、扇形などなど各々の一辺の長さが違ったりもして、そんな形が似ている者同士が仲良くなりやすくなるといったイメージでしょうか、一人ひとり形が違うことを認め合えることを、友情といったり、親子愛といったり、師弟愛といったりパートナーシップなどといったりするのだと思います。
そのような「自分と相手は違う」という現実をよく知ることが、自分という存在と相手という存在を尊重していく第一歩であり、自己理解を深めて自分らしい表現に磨きをかけ続け、そんな自分の内面と相手の考えと気持ちに耳を傾けながら、相手の価値観を認めつつコミュニケーションしていくことで、どんどんと自分らしさが輝いていくのです。
したがって、自分の枠組みを大切にしながら、相手の枠組みも大切にして(自分の枠組みとは違う形をしていると認めて)、「自分らしさ」に柔軟さも付け加えていけることで、あなた独自の表現法が身に付いていくと思います。
そうしていければ、相手とこころの交流をもつことができるようになっていき、自分らしい幸せを感じられるようになります。
人が生まれて死を迎える人生という旅路は、自分らしさを探す過程であると言えるかもしれません。
人や物事に関係すれば、自分にとって都合の良い・悪いことが必ずといっていいほど起こると思います。
良いことばかりを求めても人間的な成長は望めませんし、悪いことばかりが続けばどんな人でも気持ちが腐ってしまうようにも思います。
自分らしさという全体を表すものとしては、優しさであったり、思いやりであったり、時には厳しさや強さがあるように思います。
そんなあなた独自の表現法が、しなやかで夢を叶えていけるものとしてあなたとあなたの大切な人たちの役に立っていけることを願っています。
幸せになっていきましょう。
あなたには幸せになる権利があるのですから。